1992年、3月半ば、 私は 勤めていた ニューヨークの 衣料 縫製の 斡旋をしている エイジェント からエジプトの ポートサイド に赴任することになった。 エジプトについての 知識は 皆無だったので 、NYに長年住んでいる エジプト人に お国事情を 尋ねた。貧しい国だが 人々は 誇りを持ってい て、気質は一般的に 穏やかで、友好的 と いうことで、安心して でかけた。
ポートサイド は スエズ運河が地中海に 連なる 地点にあり、 アフリカ大陸の東北端に 位置する 人口 およそ46万人の 古い港町である。エジプト政府は産業振興、外貨獲得策 として この町 を フリーゾーン(自由貿易地区)に 指定し、 ここからの 輸出入品は 非課税としている。労働力は豊富で低賃金 ということで、 アパレル産業のような労働集約型 産業に とっては 穴場で、米国、ヨーロッパ から の 注文が 増えている。それで、新工場も 増え、 その一つの 指導、連絡 係りと しての 赴任である。
私が カイロに 着いたのは、 ラマダン(断食月)の 終りであった。ラマダンとは イスラムの 行事で一ヶ月続く。人々は この間、日の出 から日没まで 水以外、食物を口にしない。そして、これが過ぎた後の イール 、 ド 、 フィドル(断食明け 祭り)には 朝から ご馳走を 用意し 家族や 友人たちと 祝う。人々はこの 祭りの日を 待っていた。
カイロのホテルに一泊し、早朝車を雇いポートサイドに向かった。およそ三時間のドライブ後、町の 入り口の 検問所に 着いたのは 九時 半頃であった。この検問所は 搬出入する品物を チェックして 、 ここ から 国内に持ち出す輸入品に課税する する仕組みになっている。この町から出る時、課税されるのを避けるため、 私は持っていった トランジスターラジオ を持ち込み品と して申告した。まもなく コンクリートの 塀で囲まれた 工場団地に 入り 私の 職場となる 新築の 工場 についた。
工場の 社長は 背の高い 口髭が印象的な 眉の太い四十 才 前後の ”アラブのハンサム”で 挨拶後、 幹部の人達を紹介された。驚いたことに どの人の名前も、 モハメッド 何々で 私は ついに 混乱し、 苗字を 紙に書いて貰うように 依頼し、 名前-苗字を 覚えることは 二の 次にすることにした。 工場長のモハメッドさんは アメリカの 大学で化学繊維 を学び、大きな化繊 の 会社に 勤めていた人で アレキサンドリア 出身である。次に現場に 案内してもらう。平屋だてのミシン場のドアを 開けると、サウナの 何倍もの熱気と ミシンの 騒音 、大勢の 人いきで、 一気に 五感が刺激され めまいに おそわれた。よく見ると高い天井には幾つもの プロペラ型 扇風機が 回っているが、 この 摂氏三十五度 はある トタン屋根の 下で は あまり効果は なさそうだ。 そこには 五百台 近い各種 ミシンが 並べられ、 裁断工、ミシン工、検査工、梱包作業員等 全部で 七百人は いるという。ここでも 大勢の モハメッド や ア ハメッド に 会った。足早にミシンの 間を回ると ”ハロー””ハロー”と人なつっこい声と 視線に囲まれた。大勢の 男性も ミシンを 踏んでいる。 女性達の 多くは色とりどりのへガーブと 呼ばれる、 肩まで覆うスカーフ で 髪を 隠し、床 までの ドレスを着ている。なかには黒ずくめで目だけを 出して黒手袋をして ミシンを 踏んでいる女性もいる。工場内を 回り終えて 二階の 社長室に 戻り ドアを ノックしようとすると 秘書から社長は今 お祈りを 始めたから 外で 待つように といわれ、 イスラム教 (回教)の 一日五回の祈りの 一回で あることを 知らされた。秘書に ”貴方は祈らないの?”と 聞くと ”私はコプト(エジプトに伝わるキリスト教の 一派)です”。と言った。では 日曜日に 教会に 行くのか、 と 聞くと、日曜日は 休みでは ないので ゆっくりいけないという返事であった。金曜日がイスラムの 休日である事を知る。この国では 信仰の 自由を うたって いるが、その 根底にはイスラムの原理があって、事実上はイスラムが国教といってよいだろう。
コプトは 七世紀に 回教徒軍が 侵入した時に キリスト教の 信仰を まもり続けたエジプト人の事で 回教徒から ”ギプト(エジプト人)”と 呼ばれた のが語源だそうである。ユダヤ教では 土曜日が 休日である。信心深い人は 金曜日の 日没から土曜日の日没まで、シナゴグ (ユダヤ教の 教会)に 歩いていく時以外、人に 接しず、そのあいだは 電話がなってもとらない。したがって イスラム、ユダヤ、キリスト、の 三つの宗教が混在する地域 の 国々では金、土、日、と三日続けて代わるがわる 休日と いうことになる。
東南アジアの 仏教国、タイ などでは 国家的な 記念日などのほか、仏教上の 行事や祭りの日が休日である。そもそも 一週間という区切りは、一神 教で、神がこの世を創りたもうた 七日間に 由来し、休日(安息日)は仕事の手を止めて、神に祈りを 捧げる 礼拝の日であるが、国際化、 情報化、の 今日、 もしこれらの 仏教、 文化圏で、或 曜日がもう一日休日だったら……。 そんなことを 考えているうちに 社長の お祈りが終った。私は 彼に 英語のできる 秘書を 欲しいと 頼んだ。 言葉や 生活習慣 を 学ぶのには いつも 側に いてくれる 人が必要である。ミシン場を 回った時 仕事の 役のなさそうな 浮動の 人たちの いることに 気がついた。一人くらい 貰ってもいいだろう。 すぐに OK がでたので 、 私に 話かけてきた 若い娘を秘書にした。長い一日が終り、少なくともこれから一ヶ月は過ごす、当時、この町でたった一つの 外国人用ホテル、 ヘルナン に 向かった。
それから七ヶ月後、ひんぱん に 起こる ビズネス 上のトラブルが 解決 されないまま、私は 疲労困ぱいし、ニューヨークに帰った。あのまま でいけば、あの工場は経営不振 に落ち込む、と いう 懸念に 取りつかれていた。それでも、度々夕食に 招いてくれたアパートの 家主、日本人女性と結婚している人、 日本に留学した人等等、 との 出会い、交流は 楽しい思い出 となった。
さまざまな 記憶の中で、帰りのカイロに 向かう時 、 呆然と 見とれた 、真っ赤に灼けた鉄球を 思はせる 砂漠の日没の 妖しい美しさは今も鮮やかによみがえる。そして、あの 厳しい自然環境の もとで、人々が イスラム、アラーの神を信じて 生きていることへの 理解 が できる、 貴重な 体験を 得た。
石田 幸子 (さきこ)