「ニューヨーク愛知県人会との縁」
ニューヨークには初春というより真冬という感じの3月に大学の卒業記念として訪れた。それまでは漠然とした憧れみたいなものをアメリカに対してもっていて、物理の道を志していたその頃は、いつか留学ぐらいしよう、くらいに思ってはいた。そのときは仕事でアメリカに住むようになるなんて全く思いもしなかった。今でも毎晩のように時差と闘いながら出歩いた夜や、ものすごい人たちがパレードをするセントパトリックデーをありありと思い出すことができる。アベニューからアベニューがやたらと遠いとか。
その後会社の研修で再び訪れた。真夏の7月下旬から3ヶ月の予定で、前回とは違い夏のニューヨーク、アパートに腰を据えて住んでみるとやっぱり楽しい街で、もっと長いこと住んでもいいと思っていた。そんなときに、911が起きた。
研修を受けていたところからからWTC(世界貿易センタ
普通はそんな恐怖体験をしたところに戻りたいなんて思わないのかもしれないけれど、また4年半経って今度は転勤という形で帰ってきてしまった。一応グローバル企業を標榜する会社なので、他にも転勤できる都市は多分あったのに、巡り合わせというのは不思議なものです。そして気付けばもう5年半も経ちます。円高と東北の大震災で東京の支社が縮小される傾向にあるなかで、滞在はもう少し長引きそうです。と、まあ、これが私とニューヨークのこれまでの縁なのですが、NY愛知県人会との縁はというと・・・
2007年、53年ぶりのドラゴンズ日本一。中学生までは毎月、いや毎週のように名古屋球場へ通うほどのファン。郭源治の胴上げもライトスタンドから観戦しました。そんなときに、ついに生まれて初めての日本一(変則とはいえ)。それが困ったことに、ここはアメリカ、基本的に誰も日本のプロ野球なんて知らないわけです。知り合いの日本人もひとりも野球に興味がない。これでは一緒に日本一をお祝いする人がいないじゃないですか。私の妻は中日ファンだと口では言っているけど、どうも気持ちがこもっていない(大阪出身なので黄と黒のタテジマに未練があるようで)。祝杯もなんだか盛り上がりませんでした。そんな2008年の初め、フリーペーパーで愛知県人会の紹介がまるまる一面を使ってのりその存在を知りました。ドラゴンズファンと知り合おう(きっといっぱいいると思った)と思いお花見に参加しました。そのときの自己紹介でこのことを話したのですが、思った程には皆さん中日に興味がないようで・・・まぁ、ともかく、それ以来、数少ない(いや、きっと隠れファンはいっぱいいるはず)NYのドラファンと知り合うことができました。去年こそは事情でリーグ優勝を祝えませんでしたが、今年はいよいよ終盤戦、最後の踏ん張りで、リーグ優勝から日本一を達成して、落合監督の花道を作ってもらいましょう。そして県人会つながりを通じて祝勝会を行いたいところです。
とまるで、ドラゴンズのことしか興味がないないみたいですが、今は同郷の多くの人たちに会うのを楽しみに会には参加させてもらっています。