第3回 阿知波 直樹さん

みなさん、始めまして! 阿知波 直樹です。 木村会長と同じ、西三河は、西尾の産です。 日本では、なじみの薄い姓ですが、愛知県の方には余り違和感がないかもしれませんね。 TV好きな方は、「阿知波悟美なる性格俳優」(あまり美しくないという意味です?!)で聞いたことがあるかもしれません。三河ではお聞きになることも間々あると思います。 実はルーツをたずねて、6月の12日に岡山県倉敷に行き、阿智神社に始めてお参りしてきました。 岡崎高校の同期が会社の同僚から「阿知波」の祖先筋にあたる「阿知」神社が数箇所(倉敷以外に長野にもあると聞いています)にあることを聞いており、所要で岡山に行った今回の旅を利用して訪問したのです。神社の由来によると、4世紀以降に日本と大陸、朝鮮半島との交流が深まり、東漢氏(やまとのあやうじ)一族の祖先とされる「阿知使主」(あちのおみ)(漢の皇帝、高祖の子孫)が17県の間の人々とともに日本に帰化し、倉敷周辺に住みついたよし。かって倉敷周辺は阿知潟と呼ばれた海域であったよし、現在も阿知という地名が残っているのです。結構格好いいじゃん!と思いつつ、なにしろ1700年近くも前のこと、倉敷をふるーい!ふるーい?故郷と思うような心境になりました。 これは夢のようなお話!

さて、自己紹介します。現実の小生は昭和19年に新屋敷町の岩瀬文庫(現在は西尾市立)の隣接地で生を受け、西尾小学校を卒業しました。春には菜種畑で黄色一面になる運動場の南側の畑が今でも鮮やかに思い出されます。学芸大学付属岡崎中学、岡崎高校、一橋大学を経て、三井物産に入社し、NYに78年に転勤してきたのがアメリカとのかかわりの始まりです。中学で英語を習い始めてから、西欧社会への憧れはずっと底流にあったように思います。会社でイギリスに二年間遊学させてもらったこともあり、アメリカへの憧れはそれほどあったわけではありませんが、85年に日本に帰る頃には、今にして思うとすっかりアメリカ経済の力に魅了され、アメリカのビジネス合理性に染め抜かれていたように思います。87年に再度米国三井物産のスペシャリティ・ケミカル部に赴任し、4年弱駐在し、幸いにもアメリカの年金資格を取って帰りました。ここに永住する気はあまりなかったように思います。第二の就職先サンスターのNY事務所長として3度目の赴任を2002年にし、生涯現役の夢覚めやらず、帰国指示はありましたが、退社をして、この4月から米国でのSOHOを立ち上げています。 商社の生活を通して‘Bridge Worlds’をモットーとして仕事をしてきました。 そんな思いをどこまで延ばせるか、当面の思いです。 日本の中堅企業のアメリカでの挑戦に少しでもお役に立てればと思っています。

中学時代に可愛い女の子を追っかけて、合唱団に入って以来、日本、イギリス、アメリカと各地の様々な合唱団で歌を歌っています。現在は、マンハッタンのRiverside Choral Societyなる合唱団で歌っています。 この1月から参加していますが、Carnegie Hallを初め首都圏の演奏会も4回を数えました。 8月にはLincoln Centerで歌う予定です。機会があればご案内します。音楽はあくまでインターナショナルなものです。 歌は思いです、感情です、コミュニケーションになります。 音楽を通して心を通わせることは、心の開放であり、自分へ舞い戻るよい機会を与えてくれます。 スポーツとともに人生の貴重な伴侶ですね。 スポーツといえば、サラリーマンらしくゴルフは下手な横好きです。 テニスもしかりです。 愛知県人会でもそんなイベントをやってもらえると楽しいかもしれません。今は家内と老いた柴犬とでNJにすんでいます。 長男は東京、次男は名古屋、長女はトロントと家族がばらばらになってしまいましたが、IT時代のおかげであまりさびしさも感ぜずにすんでいます。でも、多忙なサラリーマン生活の名に甘え、子供の成長をしっかりと見守る機会を失してしまったことを大いに後悔し、彼らの幼少のときの写真を机の上に掲げています。

愛知県人会を通じて様々な人たちにお会いできるのを楽しみにしています。 自由で、可能性を素直に受け入れてくれるアメリカで、皆さんが豊かな人生を築くことを永遠に念じながら。 そして、日本の心も忘れずに。

阿知波 直樹

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