第7回 小島潤さん

「TexasFridayNightFeverと50キロ痩せた男」

始めまして。小島潤です。アメリカには合計20年住んでいますがNewJerseyに18年、Texas州Houstonに2年です。僕は横浜市で生まれ中学3年まで住んでいました。父の転勤の為中学3年の一学期の後にTexas州Houstonに引っ越して来ました。その2年後再び父の転勤の為NewJersey州Chtahamという町に移りました。それ以後NewJerseyに住んでいます。テキサス州で会った人々の感情、そしてアメフトとの出会い、50キロダイエット成功と横浜Boyの僕と愛知県中部地方との関わり。人それぞれ変わった人生を送ってるんだな~。こんなJapaneseもいるんだなと思って読んでください。

僕と愛知県の繋がり。え~何だろう。確かFamilyHistoryを見ると小島の祖先が江戸時代ぐらいに三河から来たらしい。あとは何があるだろう、小学校と中学校の親友の山田君が名古屋市の出身だったな~。今働いてる会社も名古屋に本社があり駐在員も名古屋の本社から来ています。この10年日本といえば愛知県漬けで日本との社内のメールのやり取りは名古屋でした。20年アメリカに住んでいる僕には親戚関係を抜かせば日本との関わりは愛知県しかない状態になってしまいました。日本を学び直すには会社の愛知県人しかありませんでした。名古屋には既に4回行き横浜に似てると思いました。住む環境は愛知県が良いと思いました。サンキュー愛知県人様です。

ある日父親からアメリカに行くぞと言われ驚く間も無く、7ヶ月後にはTexas州Houstonに上陸していました。Houstonに上陸した時のあの蒸し暑く濃いススキの様な芝と大きな家、夏時間で夜8時半頃まで日が沈まず、そこからあふれるTexasの大らかさは忘れません。何でも大きい、甘い、不味い。いきなり高校に行き何から何迄違う、言葉を話せない。会話も出来ない。僕は身体障害者になった気分になった。当たり前の事ですがアメリカ人の先生も生徒は勿論日本語も日本も知らない、ここで本当に悩みました。「どうすれば」「どうやれば」誰か助けてくるだろう。「困ってるので助けて」「普通のアメリカ人って冷たい。」心の中では何時も感じていました。平日は現地校に行き英語で苦しみ、週末は日本人学校の補修校に通い、日本人の子と遊び、それが何時の間にかに日課になっていました。しかし僕の頭から「普通のアメリカ人って何でこうなの」言葉で思い込みをする自分が許せなかった。ある日父の会社の秘書カミールさんが家に来た時に僕は救われた「ここでは何か活動しないと駄目だよ。」その一言がヒントを与えてくれました。ある日突然自分が通っていた高校が新聞、ニュースで話題になりました。それとは僕が行った高校を卒業してSuperBowlXXに出場したスターRunningBackのCraigJames選手(現ABCCollegeFootballの解説者)がNewEnglandでスタメンで出場したからです。Texasと言えばHighSchoolFootballであり、それはアメリカにおける大事なカルチャーでもあります。実際僕の行ってた学校は当時Texas州HighSchoolFootballの強豪チームでもありその熱情と愛情は生徒全員と周りのCommunityのサポート、観客一万人前後での熱意のFridayNightの人工芝での試合には圧倒的に支えられてしまいました。それで決心したのです。僕はFootballをやると決めたのです。英語もろくに話せない僕がCoachのOfficeに行って「SuperBowl感動しました。アメリカが好きになれました。Footballのチームに入れてください。」こんな事を聞いたコーチも驚きOKがでました。何をそこで習ったか、チームワーク、人の考え方、Footballの試合の日、Communityとスポーツの繋がり、人種を超えたアメリカ人の関係でした。正にこれは「TexasFridayNightFever」でした。

しかしその後間もなくNewJersey州Chathamに引っ越して来ました。違いには驚きました。あのTexasの熱情と愛情的な感じが無く凄く覚めてる感じでした。Dryで北欧の何処かに来た感じでした。何時のまにかにTexasの時代は映画のように去って行きました。白人でも区別があり町によって住んでる人種が違いそれを肌で感じ驚きました。ユダヤ系、イタリア人系、ポーランド系、アイルランド系等のアメリカ人が町によって集結してるのには驚きました。Chatham高校の自分の学年には95%は白人で殆ど北欧系の人で東洋人も数少なく中国系のアメリカ人の女性が3人以外は中国人、韓国人系の男性はいませんでした。この環境で何が僕の支えになったかと言うとFootballでした。Texasで見たあのFootballSuperBowlとTexasHighSchoolFootballで出会った人達から頂いた熱情と愛情でした。それがあり、今の自分があると思います。

Footballを始めた時は確か168cmぐらいで67キロでした。体格はけして悪く無いですがアメリカ人の体系には勝てませんでした。このままでは首の骨でも折って即死してしまう。なので筋トレに励み高校4年には169cmぐらいで体重は80キロになれ試合にも出ても相手に負けない力には自信がつきDefenseを中心に毎試合出てチームに貢献していました。問題は高校を卒業しFootballの実戦から離れ大学に進んでからです。筋トレも辞め少しずつ太り始め、食べるのが好きな僕はストレス等があると過食症になった感じで食べていました。甘い物が大好き、ビッグマック、寿司も好きだし、ういろうや、味噌カツ系の食べ物が好きでした。大学卒業後も食生活が更に悪化して太る一方でした。何時の間にかウエストは41INCHに首周りが21インチありました。ちなみに体重は115㌔。巨大のお相撲さんに変身していたのです。アメリカ人の友達からも「潤痩せろ」と何回も言われました。でも無視して「明日から又は来週から痩せる。」でも自分では口だけだと分かっていた。痩せる実行には結びつけませでした。寝るときは鼾がひどく人とは近くに寝れなかったのです。鼻血も毎日の様に吹き出て、その上鼻息があらくアメリカ人のCo-workerから文句が出まくり、問題になりその為鼻の医者に行きました。「貴方の鼻は平常ではない、この液体をつければその鼻血がでる所がふさげます。」That’sITです。勿論僕の鼻は日本人鼻でべちゃんこで小さい、アメリカ人みたいに鼻は高くないです。僕もそれを聞きこの人は適当なやぶ医者だと思いました。しかし面倒だったので上司には医者に行った証明だけを見せて安心させました。しかし30歳になり、それから色々な面で体に故障が出てきてしまいました。午後になると眠たくなり数回働いてる時に一瞬的に寝て大きな鼾をかいていた事もあったのです。でもそれでもDiet実行は出来ませでした。その上食べ過ぎPlusストレス等で苦しくなったり寝れない、内臓も痛くなる回数が増え体の限界が来ていたのです。しかしそこである出来事が僕の人世を変えたのです。それは911でした。

9月10日に何らかのストレスと食べ過ぎ等が重なり、寝れなくなりました。翌日911同時多発テロが起きたのです。会社も昼に終わり、あの帰り道のI-78を東に走っているとTwinタワーの姿は消えて煙だけが見えました。沢山の人が予告なしに犠牲になってしまいこの世から去りました。その瞬間に襲った恐怖感と自分自身がコントロール出来ないが事は最低で情ないと思ったのです。そこで改めて自分を見直して新なチャレンジに挑戦する事に決意したのです。痩せる事に決心したのです。最初は食生活から変えました。SODAと甘い物を殆ど飲まない事にしました。食べる量も減らしHEALTHYFOODに展開しました。結果として10キロ痩せました。それでも年末苦戦して105キロを保つのが精一杯でした。新年を迎え会社で好例のファットボーイコンテストがありました。期間3ヶ月でどれだけ痩せるか競うコンテストです。僕の上司が勝手に名前を登録してしまいました。参加費$50ドル。一番痩せた人にお金が渡される仕組みになっていました。しかしさすが$50がかかってる事もあり自分もそれに連れて熱意が違いました。しかし中間時点で5キロしか痩せてなくここで初めて運動する事に決めたのです。最初は1キロ歩くのが精一杯でした。しかし毎回運動したあと胸がすっとするのが感じられ体に良い感じを与えました。それから距離を少しずつ増やし最終的には走りました。コンテスト終了日には一回4、5キロ程度は走れるようになりました。結果としては体重84キロまで下がり3ヶ月で20キロ痩せました。ファットボーイコンテスト圧倒的な大差で優勝し賞金は洋服代にあてました。その後も続け50キロ痩せるのには2年かかりました。今では週5回毎回12キロを走っています。血圧も20%ぐらい下がりました。これは自己流のダイエット法です。結果としては健康になりメンタルの面でも向上し前向きになりました。

最後にAmericanDreamってなんだろう。色々悩む人もいると思います。これはお金と富だけでは無いと思います。人それぞれに目的がり、生き方、考え方を尊重する事が大事だと思います。AmericanDreamはとは僕の結論は自分が出来る可能な事を実現するのがAmericanDreamだと思います。過去の影響で今があります。努力も大切ですが、でも人生は前向きに心広く楽しく過ごす事も大事だと思います。僕の人生経験も1つの生き方です。1人でも多くの人に何かの参考、励みになって頂ければあり難いです。次回の愛知県人会で皆様とお目にかかる事を楽しみにしております。

小島潤

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