第8回 高橋 洋さん

「名古屋支社に赴任して欲しい」-そんな辞令を人事部長から伝えられたのは忘れもしない1997年2月のことであった。

東京で生まれ、東京で育ち、大学を卒業するまでの24年間で築いた友人、家族、恋人などとの思い出を捨てた。一人暮らしも初めてで、何もかも不安で一杯であった。

正直言って、当時の名古屋に対する印象はというと、塩辛い食べ物が多い、商売はしにくい、閉鎖的な土地柄など、先輩や友人からの話を聞くと評判は決して良くなかった。

今思えば、1997年という年を思い起こして見ると、現在の就職状況は売り手市場に戻りつつあるが“超氷河期”と形容されていた。

私は本来の自分の姿や、やりがいのある仕事は何か?という視点から第一希望の在京テレビ局を中心に受け、局長面接まで進むものの結果が出なかった。結局、数社マスコミ企業を内定した中で最大限、自分のことを評価してくれた日本経済新聞社を選んだ。

名古屋支社勤務は丸4年間、文字通り寝食を忘れて働いた。自分の仕掛けた企画やイベントなどで、世論を動かし、ムーブメントを起こしたことが、たまらなく楽しかった。良い先輩や後輩、クライアントに恵まれ、後ろ髪を引かれつつ、2001年3月に東京に異動した。

仲の良かった方達にしてもらった送迎会では生まれて初めて人前で男泣きをした。それほど名古屋支社勤務4年間は私にとって、かけがえの無い、貴重な期間であった。

その後、東京で4年半の勤務を経て、入社時から希望していたN.Yへ社費留学させてもらい、現在に至った。早いもので今年の8月末には帰国するが、何年後かにぜひ今度は駐在員として戻ってきたい!

一年間限定の留学なので、とにかく人に会って、自分がどこまで通用するかを試しながら、いろいろな会合に参加し、前回の寄稿者である小島さんから愛知県人会の概要をお聞きした。

多忙なスケジュールを調整しながら、やっと4/30(日)に雲ひとつ無いブロンクスガーデンにての花見会に参加することができた。

木村会長を始め、メンバーの面々は気さくな方ばかりで、本当に楽しむことができた。

愛知県という繋がりを通して、皆さんがいろいろな悩みを抱えている中で、考えを分かち合い、刺激しあうというのは大変、素晴らしいことだと私は思った。

最後になるが、昨年、読んだ著書の中で、ニート研究の第一人者である東京大学の玄田有史教授によると、N.Yを漢字で表記すると『紐育』となり、人との絆や関係を築くという意味になるとのこと。

残された4ヶ月で日本では経験できないことや人脈を前向きに築いて行きたいと思っている。

高橋 洋

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